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confuoco Dalnara

OLD BOY

step into love waltz, love beyond good and evil

「獣みたいな人間でも生きる権利はあるのではないか」
映画の前半でこの言葉が意図するのは監禁された怒りの吐露と
もしかしたら自分に監禁されるだけの理由があったのではないか、
という思い出せない自分の罪に対して怯える気持ち。
そして、復讐に燃える自分のモンスター(怪物)性を意識する潜在意識の意味がこめられているようだ。
しかし映画の最後では同じ言葉の意味も異なってくる。
獣・モンスターの意味が、怒りと復讐に我を忘れた怪物、という意味ではなく、
人間の人類の倫理を逸脱してしまった、という意味になってくる。
映画は復讐を描きながら愛に挑戦している。
私たちの知っている愛は、決して人間の倫理を踏み外さないもの。
モンスター性は社会の規範と心の深淵に押し込め、
獣みたいな人間になってまで愛を貫こうとはしないはず。
人間社会の制限の中で始まる愛が、倫理的で相対的なものだとしたら
ウジンが望んだのは実姉への愛で、原始的な意味で究極の愛、絶対的な愛だった。
復讐のワルツはそこから始まった。

監禁された理由を知らないデスははじめは復讐のモンスターだった。
監禁した者の獲得と探求のための復讐の物語が始まる。
一方ウジンの復讐の始まりは愛する者に対する後悔と喪失で始まった。
対立する2人の復讐がどこで交差するのか。
人道を踏み外したウジンは愛のモンスターとして復讐を始める。
その復讐は、復讐のモンスターだったデスを同じ愛のモンスターに引き摺り下ろすことだった。
ウジンはデスにも愛の挑戦をさせたかったのではないだろうか。

「砂粒であれ岩の塊であれ水に沈むのは同じだ」

姉を愛そうが、娘を愛そうが、愛のモンスターであることに変わりはない。
デスがウジンの復讐に気づいた時
愛することの畏れと滅びる愛を知った。
社会では許されないウジンの愛、恐るべき愛、滅びるべき愛に
自分も足を踏み入れたことを知り、もはやウジンを否定できなくなる。
そう、砂はウジンで自分は岩なのだ。
滅びる愛に身を投げたのはいっしょなのだ、とデスは思い至る。
ウジンはさらにたたみかける。ウジンの復讐はまだ続いている。
自分は知っていて、姉を姉として愛した。お前は知っていて愛せるか、と。

人間の倫理を飛び越え、娘を愛して愛のモンスターになってしまったデスは
こうしてウジンの愛と立場を理解する側に追い込まれる。
ウジンの復讐によって、肉親を愛する、愛してしまうという世界を知ることになり価値観が変わる。
デスもウジンと同じ善悪の彼岸(倫理を超えたところ)の住人になってしまうのだ。
その状況でウジンはデスに娘を愛し続けられるか、と問いかける。
ここでデスは父親の顔に戻って身を挺して娘を守ろうとする。
ウジンも愛する姉を守りたかった。
愛する者を守れなかった後悔と喪失感が復讐の原動力だったウジンにとって、
自己犠牲的なデスの行為は、自分に不可能だった強い愛情表現なだけに眩しかったに違いない。ウジンの弱みである。
そして、「知っていて」愛することはできない、と
最後に何もかも知らなかったことにしたいと望むデスは
「知っていて」愛した、と堂々と話すウジンがやはり眩しかったのだと思う。
デスの、父親の弱さである。
愛のモンスター、それぞれが秘めた弱さが悲しみになって心に残る。
この復讐に勝敗はなかった。
善悪の彼岸、滅びる愛の世界と向き合うのは辛いが
ニュージーランドで撮影したという雪山に残る足跡のように
人知れずひっそりと深く陰翳を残すような、そんな情趣の映画だ。

デスが監禁された部屋の壁紙の模様は日本の麻の葉文様に似ている。
丈夫で真っ直ぐ伸びる麻にあやかって、順調な成長を意味する文様でもあり、魔よけの意味もあるという。
娘の成長、復讐が熟成する時間の進行なども暗示させるし、
魔よけとなってデスたちの行く末を守ってくれそうな気もするし、文様に秘められた意味を監督に聞いてみたい...。


20th Century Old Boy
'20th Century Boy'という曲をまだ知らない。iPodに入るかも。
『オールド・ボーイ』の原作と『20世紀少年』と、
小学生の自尊心と孤独感がちょっと似ている気がする。
注目されたい、自信がつくから。
でもかんたんに理解されるのはプライドが傷つく、共感もされたくない
と考える少年もいる。
ケンジと五島は屈託ない男子、というところが似ていると思う。

Custo Barcelona
映画『オールド・ボーイ』でミドが着ていたのはCusto Barcelona。

壁紙や箱に静かに整然と載っている麻の葉文様とは対照的に
抽象的な混沌と日常を超えた色遣いが存在の謎を深める。
濃密な色と
模様の奥行きなのかテクスチャーの厚みなのかわからない混沌が
時に超時間的な聖性を投げかける。
こんなプリントのような絵を描く画家がいた気がする。

ふだんはカッティングや素材の質感でwardrobeを決めるのだが
映画の中のプリント重視のデザインもおもしろいと思った。


to be continued...!?

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